このコンテンツではテラ・ノヴァの語源や背景について綴ります。
話の筋がわかる内容ですので、ご注意ください。




テラ・ノヴァとは?

TERRAは、もともとラテン語で「大地・陸地」をさす言葉。NOVAは「新星」の意味です。
つまり、テラ・ノヴァとは「新しい大地、未開の土地」の意味。南極探検隊の船に
この名前がつけられたのも頷けます。

このテラ・ノヴァ、名前のインパクトのせいか、化粧品会社の名前や
株取引の会社(こういうのなんていうんでしょうね?)バンドの名前にまで
幅広く使われております。
驚きなのは「テラ・ノヴァ」という花があること。

カーネーション・テラノバやガーベラ・テラノバ(図)などがありますが、
いずれも品種改良の結果できたもの。
カーネーションは淡いグリーンや茶色、紫、ガーベラは濃い朱色(?)の花です。
やはりイメージするところは「新しい」「大地」の色なんでしょうか?
因みに、カーネーション・テラノバの花言葉は「素朴・集団美」。
…スコット隊に合っているような合っていないような…。

(しかし、このサイトだんだん「よろず情報誌」みたいになってきたな…)



 
テラ・ノヴァの悲劇

1868年、ロバート・F・スコットは酒造家の長男として、イギリスで生まれた。
1882年、父親の強制で海軍に入り、後に海軍士官となる。

1901年から3年間、彼は南極の学術的調査を行った。
この調査内容は非常に優れたもので、彼は大佐へ昇進。
イギリス国内では英雄扱いになるほどだった。この時、
南極点初到達への憧れを一層、強めたという。

1910年、スコットに南極点初到達のチャンスが巡ってきた。
彼は海軍を退き、南極点初到達のために資金を集め、探検へと出発。
南極点を目指す探検家は誰もいなかったから、
間違いなく南極点初到達はスコット隊になるはずだった。

しかし、彼の不運は南極ではなく、北極から始まる。
北極点を目指していたアメリカの探検家ピアリーが、ついに北極点に到達したのだ。
もっとも、この北極点到達には、現在でも議論があって、
前年にクックが到達していたのではないか?という疑惑もある。

さて、この時、ほぞを噛んだのが、北極点到達を目標にしていたノルウェーの探検家アムンゼンだ。
ピアリーの北極点初到達を知ると、急遽、路線変更で南極点を目指すことに決めた。
う〜ん、おそるべし、初到達への執念。

スコット隊は、馬を失い、次いで犬を失いながら、
最後には人力で南極点を目指した。そして、ロス海の基地を出発してから2ヶ月半、
ついに1912年1月17日、スコット隊は南極点に到達したのだ。
おめでとう!スコット隊!!!…というわけにはいかなかった。
 そこで見たのは、南極点に立つノルウェー国旗だったのである。
なんと、アムンゼンは1ヶ月前の1911年12月14日、南極点に初到達していたのだ...。

スコット隊は失意のうち、帰路に就くが、途中、猛吹雪に遭遇し
大量の燃料と食料を用意している1トンデポまで18キロという場所で、全滅してしまったのである。
スコットの日記の最後には、こう記されていたという。

"我々は最後までがんばるつもりだが、体が弱りつつある。
だから、最後の時も、そう遠くはないだろう。残念だが、これ以上書き続けることができない。
 最後に、我々の家族のことを頼みます"

彼らは初到達という栄誉があれば、おそらく生還できただろうと言われ、
それだけ初到達を達成できなかった失意が大きく、最後はあまりにも悲劇的だ。


  スコット隊全滅の謎

では、彼らは失意のせいで全滅したのだろうか?
もちろん、それもあるだろうが、最近では、全滅したのは彼らの食料に
あったのではないか?と言われている。

アムンゼン隊は南極に生息する動物を食料としていたが、スコット隊は缶詰だった。
当時の缶詰には、鉛が含まれていたから、鉛が食料に溶けだし、鉛中毒にかかっていたというのだ。

さすがのスコット隊も、缶詰による鉛中毒、初到達できなかった失意に加えて、
悪天候に見舞われてはどうしようもない。

だが、スコット隊は初到達という栄誉こそ逃したものの、
彼らが行った学術調査は、現在の南極探検に欠かすことの出来ない
貴重な資料となった。

確かに南極点初到達を果たしたのは、アムンゼンである。しかし、南極点にある基地には
二人の栄誉から「アムンゼン・スコット基地」と、名前が付けられている。

ちなみに、アムンゼンとスコット隊の両方の装備は、
あのチェック柄で有名なブランド「バーバリー」だった。
冬になると、街の若者達もバーバリーで防寒するが、
そこには二人の探検家の歴史が刻まれている...かもしれません


”ここは恐怖の場所です。せめて初到達という栄誉でもなければ”       (スコットの日記より)


■ 以上の文面は「世界○ごと!?超・雑学おもしろ講座」様」( http://www.johos.com/omoshiro/ )
より転載させていただきました。ありがとうございます!




 
幽霊船と…


乗組員なしに大海を漂流し続ける謎の船、
幽霊船として世界的に有名なマリー・セレステ号
の滅亡にも、
鉛入りの「缶詰」が影響していたらしい。

マリー・セレステ号が発見されたとき、中に乗組員の姿はなかったが
テーブルの上には食事が並び、あたかも直前までそこに人間がいたかのようであった。
一説には、テーブルの上のスープはまだ温かかったという。
その後マリー・セレステ号はイギリスへの曳航中、再び嵐の中に消え、
以来人々の前に姿をあらわすことはなかった。

マリー・セレステ号船員失踪の原因については、船員の反乱説、伝染病説、
とても辛抱強いかくれんぼ説(!)が有る。
また、ごく少数派ではあるが、海の怪物セイレーンの実在を信じ、
セイレーンに船員失踪の原因を求めるものもいる


しかし、近年はマリー・セレステ号の漂流は鉛中毒によるものでは?
という説が浮上してきた。


発見した人々等によれば、船の乗組員は
非常に慌てて船を放棄した模様である。
この謎を解き明かすための唯一の証拠として、船長の航海日誌が見つかった。
しかし、残念ながら最後の10ページ程が破り取られていた。
航海日誌のページには、船長が少しずつ正気を失っていき、最後には、
船員達がイルカ達の仲間に成りたいと思いこんだ様子が現れている。


当時の航海の常として、マリーセレステ号乗組員の食事は、
缶詰でまかなわれていた
そのため、鉛中毒に罹った乗組員たちは、海上の危機に際して冷静な判断が出来ず、
必要なものを残して船を捨てたのではないか、というのだ。

鉛中毒には、それとはっきり分かる症状がいくつかある。
鉛の濃度がひじょうに高い場合は、急性脳障害を起す。
鉛の濃度が低い場合は、精神の発達に障害があり、IQ や
精神機能の低下にも影響すると考えられている。

鉛中毒では、貧血症がよく起こる。
特有の症状ははっきりとしないが、非常な過敏性、食欲と活力の低下、
最近獲得した発達上の能力の喪失が挙げられる。腹痛も起こることがある。
重症の中毒では、鉛による脳障害が起こり、それと共に嘔吐、千鳥足、
末梢神経障害による動作の弱々しさ、けいれんと昏睡・幻覚が起こる。

そう考えると、エヴァンスの症状に似通っているようにも感じられる。

スコット隊の生死を分けた「缶詰」。
当時の缶詰は、密封の為に溶けた鉛を使用していた。
そのため、徐々に鉛が溶け出し、人体に影響を与えていたらしい。
もちろん、現在の缶詰は真空密封なので鉛は使われていない。
かつて、缶詰に鉛が使われていたことを知る人も僅少だろう。

しかし、南極の地に足跡をしるそうとし、
図らずも倒れた先人の記憶は、いまだ鮮明である。








(…ますますヨロズ情報っぽくなってきた…。どこへむかうんだ、私は?)
































































































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