「国粋主義者のための戦争寓話」
5月6日のプレビュー公演にいってまいりました。
以下、舞台ミニレポートと感想です。台詞とかいまひとつ
うろ覚えなので、間違っているところが多々あるかと思います。すみません…



<舞台セット>

コンクリート打ちはなしのセット。大きな木の机が縦に3つずつ、4列並んでいます。
その奥の一段高いところが、おそらく本来の舞台でしょう。
やはり木の机と椅子があり、机の上には酒瓶や小物が置いてありました。
天井から白熱灯の洋燈が6つさがっていて、一番左端前の机の下には。
軍隊ものらしい荷物が。あとで、防護服セット(?)と判明。
同じ机の上には、ロケットの模型があります。(詳しくはコットーネHPにて)
舞台開演前は蝉の声がBGMのように流れていました。


<観劇ミニレポート&感想>

蝉しぐれがだんだん大きくなり、舞台が暗転。
右手客席から、白い洋服の男(栗原茂さん)が、登場し,
机の上においてある日記をとりあげ、朗読をはじめます。
この洋装の男、ストーリーテラーというか、
辰巳兄弟の過去や心理を朗読によって語る役割を持っているようです。
彼の語りから、徐々に話の糸玉が解れていきます。
「…月子、僕は今も地上を彷徨っている」という言葉で、場面が展開。
この台詞は、芝居の中でなんども繰り返されます。
「空」への憧れと「地」への嫌悪。
もしかしたら、「地=うまれ持った生に縛られるもの、土着の民」という
イメージが託されているのかもしれません。

舞台奥の机には、楠木大尉(若松武史さん)の姿が。
その向かいに、直立不動の姿勢で辰巳少尉(横田栄司さん)のシルエットが
淡くうかびあがります。見た瞬間に「横田さんだ!!」とわかる佇まい。
舞台上での横田さんの立ち姿、まるで一枚の静かな絵を見ているようで、
とても好きです。
いらだたしそうに酒を煽り、辰巳少尉に水を向ける楠木大尉。
も、もしかしてこの展開は…


「自分は酒が飲めません」 
    必殺技キタ〜〜〜〜〜(笑)


でも、とても緊迫感の或る場面なので、口許に笑みを浮かべるに留まります。
確かに笑うところではないです。
楠木大尉と洋装の男に、「ロケットによるB29の撃墜」を任命され、驚く辰巳少尉。
この時点での辰巳少尉は、いかにも新人将校という印象。
硬質で生真面目な表情や口調に、その雰囲気がよく表われているように思いました。
楠木大尉に扮する若松さん、はじめのほうは台詞があまりききとれなくて
「もしかして若松さんではないのか?」と非常に失敬な疑問を抱いてしまいました。
でも、徐々に調子が上がっていったようです。
任務の説明を行う場面では、威厳のある態度でみせてくれました。
この場面では、「君達兄弟のことは調べさせてもらった」と、早くも辰巳少尉の
出自に関する発言がちらりとでてきます。この出自が辰巳少尉の行動や
言動に常に影響を与えているようです。

楠木大尉に「期待をしている」との激励と握手(当時の兵隊の上下関係では
かなりの高待遇?)を受け、芹澤曹長(久保酎吉さん)、赤木軍曹(河野洋一郎さん)
佐野伍長(近江谷太朗さん)、樋口伍長(寺十吾さん)らとともに、
秘密基地(こう書くとなんか楽しそう…)に向かう一行。
横田さんだけが皮の軍靴をはいているので、階級が一番上であることがわかります。
しかし、基地にいるはずの先遣隊の姿はなく、一同は騒然となります。



久保さん、この舞台ではじめて見たのですが、迫力の演技。
職人肌で叩き上げの曹長をうまく演じていらっしゃいました。
土器や黒曜石を発見し、嬉々として専門分野について語る横田さんも、
当時の学徒気質がみてとれてよかったです。
ただ、同時に「横田さんの役はバリバリの国粋主義者ではないんだな」とも思いました。
天皇に忠誠を誓ってはいますが、心酔しているのではなく
なにかの手段として、軍隊や天皇を信望しているように感じました。

そして、やはり凛々と響く声に、今回も脱帽。
「水琴窟」という、水の雫で音を奏でる仕掛けがあるのですが、
そのとおなじように、体のなかに直接響くような音の深さです。
目を閉じて音を追いたくなってしまいますね。



進行する舞台の傍らには、いつも白い洋装の男がいて、
なんどか日誌が読み上げられます。
鐘下さんの演出もはじめてなのですが、このナレーションが挿入される形、
個人的にはとても好きです。徐々に話の背景が明らかになっていく様子も好み。
でも、見せ場で「ダンダンダンダンダン」という効果音と光が
同時にはいるのはちょっと苦手かも…。両方同時に提示されると
舞台ではなく劇画の一場面をみているようで、すこしくどいように思います。

ただ、感覚的なものというか、人の生々しい一面に切り込んでいく
鋭利さは目を瞠るものがあります。
銃や爆発の音の大きさは、一瞬びくっとしますが、その過剰ともいえる
音の大きさは認知的にはおそらく正しいのだと思います。
もし、実際に人の怒鳴り声に晒されたり、銃口を向けられたら、
我々は実際以上に過剰なものとして受け止めるのでしょう。

サム・ペキンパーの「ワイルド・パンチ」が公開されたときに、
「一体どのような理由で、あれほどの大量の流血の描写が必要なのですか?」
と尋ねたジャーナリストがいたそうです。それに対するアーネスト・ボーグナインのこたえ。
「いいですか、レディー。人が撃たれたら血が流れるものなのです」
この応対がベトナム戦争のさなかになされたと言うことを考えると、
この言葉はずしりと重く感じます。
今回の舞台も、もしかしたらそのようが意図があったのかもしれません。


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ながくなりすぎたので、このへんで。
…今回もこのパターン…。このさき、順番がうろ覚えなのにどうするんだワタシ。

とりあえず、続きます〜〜




















































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