タイタス・アンドロニカス 舞台感想


タイタス・アンドロニカス総合感想。
原作を読んでから、観劇、終幕までをまとめてみました。
今回はRusset管理人というより、「一演劇ファン風(笑)」。
距離をおいてみた場合、こんな風に感じました、という素人の勝手な感想です。
さらっと聞き流してください…。

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タイタス・アンドロニカスの観劇にあたり、今回初めて
「舞台を見る前に原作を読む」ということをしてみました。
能を別にすれば、私は舞台を見る前に原作にあたるというのをしたことがありません。
目に見える言葉と、音になったことばでは作られるイメージが
違うので、そのギャップに戸惑たり、がっかりしてしまうことが多いからです。

でも、今回の話は「かなり特異な話らしい」というのを聞いたことと、
あらかじめ持っているイメージを蜷川さんがどう壊してくれるのか
ということに興味があったので、あえて挑戦。
まだ松岡さんの新訳が出ていなかったので、
福田さんの嘗め回すような(笑)文語体で読んで見ました。

一読後の感想は「なんて筋の荒い話だ…」。
ただでさえ、人の死が多いシェイクスピア。
毎回ばったばったと人が倒れますが、そのなかでもタイタスは凄すぎです。
「この作品はシェイクスピアの原作ではなく、手を加えただけでは?」と
研究家の間で疑問視されているのも分かるような気がします。
その死の場面もあまりにあっさりと、まるで物を壊すように進行していきます。
最後のシーンは5行で主要人物が三人殺されるという滅茶苦茶な展開。

ですが、この筋のあらさと、人が死ぬことの意味を麻痺させるような展開があるからこそ、
蜷川さんはいまここでタイタス上演を選んだのかな、とも思いました。
 そして、原作を読んだ事で思ったのが「この凄い感情のエネルギーをどうみせるのか」
筋が粗く、言葉も足りないこの原作(相当失礼)を鋼太郎さんや麻実さんが
どう演じるのかということを期待しつつの観劇になりました。



初見は21日。二回目にして最終の観劇は29日。
レポートを書くつもりで望んだので、どちらもノート持参でしたが、
まずかかれた感想が「鋼太郎さん、凄い…」でした。
鋼太郎さんは、オィデプス王のときにはじめて見て以来、気になった俳優さんです。
ハムレット、リチャード2世、今回のタイタスで4度目になりますが、
一度として同じ印象を受けたことがありません。
極端なことをいってしまうと、顔立ち以外、他の役との共通性を感じさせるところがないくらいです。
本当に考えて、全体としての個人をみせる役づくりをなさっている方だな、と思いました。

そして、演技の緩急、静と動のみごとな対比。
第一幕の登場場面、威厳と勢いを持ち合わせた炎のようなタイタス将軍が
次々起こる事件の中で、その印象を徐々に変えていくのですが、
あれほど唐突に場面が展開し、感情が動いても、それを不自然に感じさせません。

「泣き落とし」という言葉があるように、感情はもともと共感させることで
他者を巻き込み、動かす力があります。
もっとも原始的で、かつ強力な武器なのです。
今回の舞台で、タイタスの感情が動くたびに舞台、そして観客の雰囲気が
がらっと色をかえるのをみて、「うう、感情の本質がここに…」と唸ってしまいました。
なかでも印象的なのが、タイタスが変わり果てたラビィニアに対して継いだ言葉、
「いまでも、俺の、娘だ…」。
肺の奥から搾り出すように洩れた声と、それ以上言葉をかけられずに嘆息する
タイタスの姿に、みているこちらも呼吸が苦しくなってしまいました。

そして、今回の舞台でもうひとつ驚いたのが、感情の巻き込み方が鮮やかで
不快な感じがまるでしないことです。これは凄いな、と驚嘆。
「暗い話ばかりきいて気がめいった」というように、
通常、人は他人の感情に巻き込まれると、疲労して嫌な気分になるものです。
それは通常の人間関係だけでなく、すこし距離のある演劇でも同様です。

昔友人の友人(つまり殆ど他人)の舞台を観に行き、あまりに未消化で
どろどろしたエネルギーの渦巻く空間に当てられ、知恵熱状態で
気持ち悪くなったことがありました。
(いま思うと、その経験以来、伝統芸能だけを観に行くようになった気が…)
でも、タイタスに関しては、歓び、怒り、哀しみ、憎悪、めまぐるしく変わる膨大なエネルギーに
引きずりこまれても、全く不快感を感じませんでした。
人をいかに心地よく酔わせ、動かすかが上にたつものの資質だとすると、
鋼太郎さんはまさに「タイタス」という疾風怒濤のような魅力ある
将軍を顕していたな、と思います。



横田さんのバシエイナス。残念ながら前半で暗殺されてしまったものの、
闊達な動作と皇子らしい気品を持った存在感で魅せてくれました。
21日もよかったですが、29日のほうが、より「バシエイナス」として
役がつくりこまれていたように思います。
声量も豊かで、身体能力の高い魅力的な俳優さんでした。
ただ、
ホレイシオや朗読の舞台監督さんのときも少し思ったのですが、
時々配役の印象と少し離れた感のある、一定のトーンの明るさが感じられて
役としてそう作っていらっしゃるのか、ご自身の気質が反映されているのか
ちょっと気にかかったところではありました。

タモーラ役の麻実さんも素晴らしかったです。
最初の登場場面では、見事にいつものオーラを消し去っていて、
はじめは存在に気がつきませんでした。
タイタスに、タモーラの長男を生贄にすると告げられ、
涙ながらに嘆願する場面、まさに鬼気迫るものがありました。
長男が殺された後で、放心から悲しみ、そしてたぎるような怒りと
憎しみへと変化していく表情も見事でした。
そして、立っているだけでおもわず目がいってしまうような凄い存在感と
野村萬斎さんが絶賛したカーテンコールのうつくしさ!!
私がローマ人なら間違いなく「女王様!!」と、ひれ伏すところです(笑)




初見のエアロンの岡本さん、
ディミー兄の谷田さんにカイロン弟の高橋さんもとてもよかったです。
特に岡本さんのエアロンは白眉でした。
道徳心や信仰心を「甘っちょろいもの」と笑い飛ばし、常に自分だけを頼みに生きている、
手負いの野生動物のような男を、うまく表現していたと思います。

神を信じない、ということは当時の人々にとって、ものすごい精神的負荷を負うことを意味しています。
それを手にとるしかなかった彼は、自らを頼み、突き進むしかなかったのではないかな、とおもいます。
善悪とは関係のないところに、ひとつ独自の規準をおいて
それを貫いているために、魅力的に映るのでしょうね。
「護るべきもの」をもっているタイタスとは対照的だったとおもいます。

ディミー兄の谷田さんとカイロン弟の高橋さん、原作ではどう贔屓目に見ても好きになれない
ケダモノキャラの二人が、こうまでかわいく(?)魅力的になるとは予想外でした。
もともと魅力的な役を魅せるよりも、どうしょうもない悪役でひきつけるほうが
難しいのだと思いますが、それを見事に演じていらっしゃいました。
特に高橋さん。ホレイシオ役を見れなかったのが非常に残念に思いました。
お二人とも、これから注目していきたい俳優さんたちです。



そして、賛否両論だった最後の終わり方。
原作ではマーカスの言葉で終わるシーンが、小ルーシアスがエアロンの
子どもを抱き取り、叫び声を上げるところで終幕になります。
…正直、戸惑いました。
外的な強い力に翻弄されるしかない立場の者の哀しみを表現したかったのかな、
と思ったのですが、実際に舞台で体験(?)すると、う〜ん…。
子どもの泣き声や叫び声は、人間が最も不快に感じる周波数を持っている
らしいので、あまりに印象が強すぎたような気がします。
そして、演出に関していえば、ときどき異質な明るさをもった場面が挿入されるのも
私はあまり得意じゃないかも…。
ひとつひとつはおもしろくて、それ自体はとても好きなのですが、
エネルギーというか、流れが変わってしまうと戻るのがきつくなってしまうので。

蜷川さんの演出は、オィデプスが初めてだったんですが
空間の造り方が独特でそれに惹かれました。
オィデプスではコロスの動きがひとつの舞台装置のような
役目を果たしていて、まさにその場にいあわせているような
感覚と躍動感が伝わってきました。
今回も、赤と白、そして原色と光を巧みに使った舞台でしたね。
特に光の使い方が効果的だったように思います。
まるでレンブラントの絵のようにドラマチックで印象的な舞台でした。



こうして、一月まえに書き散らした感想を纏めてみて改めて感じるのは、
「凄い舞台をみることができたな」ということ。
いま思うと、「100人の死は悲劇だが、10000人の死は数字でしかない」というような
言葉が、根底にあったのかなとも思います。
人の死を、あえて白い美しい舞台で
もののように列挙する事で、反するメッセージを伝えたかったのかなと。
素人が勝手な意見を書き散らしてしまいましたが、それだけ思考の底に
もぐることのできる深みのある作品でした。

出演者の皆さん、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
次に舞台でお会いできるのを楽しみにしています!!




           
































































































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