■ モリエール(Moliere) ヨーロッパ フランス共和国 AD1622 フランス王国 1622年、パリの富裕な町人の家に生まれる。フランスの喜劇作家・俳優兼座長。 コルネイユ・ラシーヌとならんで3大古典劇作家と称される。 1643年女優マドレーヌ=ベジャールとともに「盛名劇団」を創立。 成功せず,13年間の南仏を中心とした地方巡業に出て力をつける。 1658年パリ帰還。王弟や国王ルイ14世の庇護を受けて成功。 40歳のときマドレーヌの妹とも娘ともいわれる19歳のアルマンド=ベジャールと結婚。 (おいおい、20才以上違うじゃんよ!しかも元恋人のマドレーヌの身内…鬼畜過ぎないか!?) 1673年、『気で病む男』を上演中、舞台で血を吐いて倒れ、そのまま他界。 主な作品に『人間ぎらい』『タルチュフ』『守銭奴』『ドン=ジュアン』『町人貴族』などがある。 当時の貴族や医者や聖職者の気どり,衒学趣味・偽善,さらには貴族の真似を したがる町人などを痛烈に揶揄し,時代を超えて人間がもつ弱点を見事に描いた。 イタリアのコメディア=デラルテやフランス中世の笑劇(ファルス)の手法を踏み台にしつつも, “性格喜劇”と称される独自のジャンルを築きあげた。 さらに詳しい説明はart randam様の「モリエール」で。管理人の玉川様、掲載許可をありがとう御座います。 ■ 舞台中の死 貧困の放浪生活の中で役者・演出家としての実力をつけ、最後は舞台で吐血、 そのまま息を引き取ったモリエール。後に「芝居に捧げた人生」と称さるのも頷けます。 因みに、日本の古典芸能である能や狂言、「四十・五十は洟垂れ小僧」といわれるほど 平均年齢が高いため、舞台中に演者が亡くなることも間々あったようです。 恐ろしいのは、その先。 「演者が亡くなったときは、速やかに遺体を運び出し、演目が途切れることのないよう 後見(演者の後ろに座っている黒子の様な存在)が代わりを務めるべし」 つまり、遺体がずるずると運ばれた後、 何事も無かったかのように演目が続けらたらしいです。 しかも、つい最近の昭和まで。 平成の世は流石に改まっているかと思われますが、 「平成になってから、まだ舞台でなくなった方がいないので不明」とのこと。 …伝統芸能、おそるべし!!!!! ■モリエールくんの裏の顔 じつは私、以前よりモリエールさんと顔見知りだったことが 今回判明しました。 高校の美術準備室の片隅、マルスやアポロン、ギリシャ女性像と ならんでヒッソリと佇む、長いくりくり髪。 その難易度故に出番が少なく、額に雲ならぬ 埃がかかりがちだった彼の名はデッサン用石膏像「モリエール」 部内通称「もりええるくん」でごさいます。 モリエールは古典劇作家として有名なだけでなく、 美術の世界でもちょっとした有名人。 アポロンやマルス、ブルータスと並んで、デッサン用石膏像として 日夜暑(苦しい?)まなざしを注がれています。 特にモリエール君は、このくるくるのお髪(おぐし:もしかして、よさんも髪のばすとこうなるのか?)と、 幾重にもよせられた襞服、右と左で全く異なった印象を与えるという独特の風貌により 「もっともデッサンのしにくい石膏像」として勇名をとどろかせています。 因みに石膏で多いのは「マルス」「アポロン」など神話の神々。 なぜモリエールが?と思って調べたところ、石膏像のルーツがでてきました。 <石膏像のルーツ> 1 ギリシャ時代の彫刻 ビーナスやマルス、ヘルメスなど・・・・ギリシャの神様です 2 ローマ時代の彫刻 シーザーやカラカラなど・・・・だいたいがローマの政治家です。 3 ルネサンス期の彫刻 モリエールやブルータスなど、歴史上の人物を中心にいろいろ 見分け方、 大雑把にいって鼻の付け根と額の高さが高く、目が極端に落ち込んでいて、 瞳が彫り込んでいないものは1(もともと着色して瞳は描き込んでいたため) よりリアルで、顔のしわなど個人的特徴が強調されているものが2 作者がはっきりしているもの、瞳が彫り込んであるものは3です (例外はあります。ブルータスは瞳がありません) その他エジプトの彫刻などもあります。 「守銭奴」「タルチュフ」など数々の名作を生み、近代喜劇の基礎を築いたモリエール。 意外なところで学際的な活躍をなさっているようです。 |
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